ものとりの日々

秋田市在住・小西一三の書きたいこと書くブログ

香典20万円

 先日、小中学校時代の友だちの父親の葬式に行ってきた。友だちの家は大きな農家で、ボクが遊びに行っていた頃は豚や鶏を飼っており、生き物のいなかった我家からするとうらやましい環境だった。さらにうらやましいことに秋田犬を飼っており、ボクにもよく尻尾を振ってくれる愛想のいい犬だった。

 ある日「そんたに犬っこが好きだったら、今度子犬が生まれるから、好きなの持っていってもいいよ」と親父さんが言ってくれた。親父さんは今でいうブリーダーで子犬を売って小遣い稼ぎをしていたようだった。当時、秋田犬1頭いくらだったかは分からないが、母犬は品評会にも出るほどの犬。その子犬をただでくれるというから、舞い上がってしまった。犬を飼うことに強く反対していた母親だったが、しつこくお願いしてなんとか許しをもらった。

 生まれたのは確か5、6匹。その中から一番元気でコロコロ太った犬をもらうことにした。「本当にその犬っこがいいんだが?」と親父さんは何回も念を押したのを覚えている。「うん、絶対この犬っこがいい」と連れて帰ってきた。その子犬は大きくなるにつれて毛が長くなり、普通の秋田犬より大きくなった。いわゆるムク毛の犬で、秋田犬の正統派ではない。青森県鯵ヶ沢で有名になった秋田犬「わさお」と同じタイプの犬だった。「イチゾウ、おめの犬っこだばライオンみてえだな」と言われたほどだ。今になって思えば見る目がなかったということだが、後悔はしていない。

 「モク」と名付けたその犬は1歳になる前にジステンパーにかかり生死の境をさまようも、なんとか生還。それまでは賢い犬だったが、高熱が続いたためか頭が多少パー太郎になってしまった。家族には従順だったが、家族以外には猛烈に吠え続け、いくら言い聞かせても吠えることは止めなかった。番犬とすれば最高だが、初めて我家に来た人は犬が恐くてなかなか玄関から中には入ってこなかった。「モク」にはいろいろな想い出がある。ボクが高校を卒業して東京に出てからは、世話をするのは母親だったが15歳まで生き続け、晩年は吠えることもなく静かに亡くなった。 

 さて本題に入る。小西一三、今まで数多くの葬式に参列してきたが、先日の葬式の弔辞には本当にビックリしてしまった。

 そのおっさんは遺影の前に立ち、しばし無言。感極まってすすり泣き始めた。普通、弔辞は胸のポケットから弔辞を書いた紙を取り出して読むのだが、おっさんは何も用意していなかった。

 呼吸を整え、突然語り始めた。「○○さんが亡くなったと聞き、私の96歳になる母親に『香典なんぼ包めばいい?』と聞いたところ『20万円』と答えました」。弔辞の最初の言葉がこれ、型破りの弔辞である。香典が20万円。決して裕福そうには見えない、70歳前後に見える普通のおっさんである。その後もすすり泣きながら語り続けた。この母と子が亡くなった○○さんにいかにお世話になったか。○○さんは、いかに優しい人であったかを、遺影に向かって話しかけるのである。「ありがとうございました」「あなたがいなければ、私たち親子は生きることができませんでした」等々、いかに世話になったかを切々と語り続けた。たぶん、このおっさんの母親という人は戦争未亡人に違いないと思った。

 秋田犬をただでもらったから言う分けではないが、確かにあの親父さん、優しかったもんなあ。親父さんの思い出が改めて甦ってきた。

 最初から最後まですすり泣きながら弔辞を述べたおっさんは遺影に向かって深々と頭を下げ、うなだれながら自分の席に戻って行った。

 型通りの弔辞を聞き慣れた身にとって、最初に「香典20万円」。この型破りのインパクト。小西は感激した、久々に参ってしまった。

 葬式に出て良かった良かったと思った。